2007年9月27日木曜日

寝覚めの床

松本から国道19号線を南にひた走ること約1時間半。木曽郡上松町の「寝覚めの床」を訪れた。浦島太郎が玉手箱を開けて老人になり、はっと我に返ったとの伝説がある床状の岩台だ。後輩が先日ダブルデート(死語か?)で行ったというので、ちょっとうらやましくなり初めて訪れた。木曽川の碧の水と白い花崗岩のコントラストがきれいで、川と平行する中央西線の名物だというが、あいにく今日は曇り。

国の名勝史跡天然記念物であり、古くから詩歌に詠われてきた。県歌「信濃の国」にも登場する。この県歌は信州人なら誰もが歌える心の歌である。というか、小学校のころから折に触れたたき込まれるので覚えずに成長するのは難しい(笑)

さて、国道脇に車を駐め、歩いて川岸へ下りる。……。正直、ん?という感じ。自然界の物とは思えない平らな岩が連なり、確かに奇跡的な造形だが、ちょっとスケール感に欠けるような。子どもの頃から一級河川の上流で育ち、ごろごろした岩場には目が慣れているせいもあるが。おまけに、視界を遮るような蚊の大軍がひっきりなしにまとわりついてきて、恐怖感を覚えるほどだ。ほんの数枚だけシャッターを切り、そそくさと退散した。


せっかくなのでもう少し楽しんでいきたかったが、午後3時すぎの中途半端な時間。仕方なく、目についた「タイムリー」というコンビニに入り、ウインナーパンを買って食べる。タイムリーというのは木曽ローカル?名古屋系なのか?いずれにせよ初めて見た。

今度はもう少し天気のいい時に訪れたいものだと思った。

2007年9月22日土曜日

道祖神まつり

 松本市で「美ヶ原道祖神まつり」を見物した。子孫繁栄を願う祭りで、男性器型の御神体を担ぐのが特徴だ。奇祭と言えば奇祭だが、子どもを願う気持ちを考えるとあながちそうでもない。

 薬師堂に男の神様、姫薬師堂に女の神様がまつられており、男の神様が姫薬師堂へ通うという形だ。その途中、神輿は旅館街を一軒一軒回り、女性宿泊客を次々と上に乗せて勢いよく揺さぶった。説明不要な気もするが、子宝の御利益があるという。
地元でも少子化が進み、神輿を担いでいるのは主に信大の学生たち。若き日を信州で過ごす彼らの手によって、伝統文化が守られていると思うとそれもなかなか意義深い。

2007年9月18日火曜日

ラストエンペラー (なぜか松本で)

松本市立博物館で、宣統帝溥儀の遺品などを並べた「北京故宮博物院展」を見学した。
横浜や青森など全国6都市を回る巡回展。なぜ松本なんぞに来るかというと、今年が市制施行100周年だから。市立博物館は松本城の敷地内にあります。

一枚目の写真は、展示の目玉である「垂簾聴政の間」の復元。手前にあるのが幼皇帝の玉座で、御簾の背後に西太后の座るイスがある。彼女が摂政政治を行っていたことを象徴する構造だ。


溥儀の眼鏡。フランス製で、フレームは14金だ。

確かに溥儀というと丸縁眼鏡のイメージだ。
以前、NHKの「映像の世紀」というシリーズドキュメンタリーで溥儀が満州国建国を宣言する映像を見たが、その時もこの眼鏡姿だった気がする。
関係ない話だが、隣の日本人外交官が宣言を下手な英語に通訳して読み上げていたのが妙に印象に残っている。


溥儀が皇帝時代に着用した礼服。比較対象物が写っていないので分かりにくくて申し訳ないが、着丈は80cm程度と非常に小さい。子ども用の服だ。

溥儀の関連品を中心に、石の印判や女官の髪飾りなどを見学。分量がすべてではないが、少々あっさりした内容だったかな。
普段パンフレットなどを買うことはないが、ふと気まぐれに3000円のガイドブックを入手した。


見学を終え、松本城の北の方にある市立図書館前に車を駐めて旧開智学校校舎付近を散策。
明治期に立てられた古い小学校校舎で国の重要文化財になっている。
写真は校舎左側面。

青いアサガオ(かな)がきれいだった。

2007年9月12日水曜日

レタス畑

信州の夏といえば高原野菜です(?)。野辺山とか浅間山山麓がメインですけど、塩尻市あたりもレタス産地です。

写真は塩尻から少し朝日村に入ったところ。 レタス類(正確な種類はよく分かりません。農家じゃないし)の畑が一面広がっています。

広角レンズのせいもあって、すかっと抜けた風景です。ちなみにレンズはシグマの10-20mm。10ミリスタートなのと、HSMが気に入って購入しました。広角レンズは、当たり前だけどパースペクティブが強調されるし周辺部も流れるから、実際の視覚とはズレが出ますね。ともすれば自己満足の写真になりやすいなあ、と自戒しつつ楽しみます。