2008年12月23日火曜日

クリスマスはおうち御飯

今年のクリスマスはおうち御飯。

しかも、明日の晩は仕事で遅くなるので23日にクリスマスを祝うという柔軟ぶりだ。

相方がカツオのカルパッチョ、キノコとベーコンのニョッキ、チキンのトマト煮を作ってくれた。チキンは圧力鍋で煮るからほろほろと柔らかい。

お酒は信州の井筒ワイン。氷搾というデザートワインをさらに甘くしたような超濃厚なワインだ。少し炭酸水で割るとおいしい。ウィルキンソンのジンジャーエールも飲んだ。ショウガ湯を冷やして飲んでるみたいだといつも思う。食後にファイブホルン(上高地五千尺ホテル系列のカフェ)のケーキを食べて仕上げる。

2008年12月3日水曜日

スペイン旅行・1日目 日本からマドリッド

季節が確実に冬に向かいつつある信州の11月。たぶん二度とないであろう9日間の特別休暇をいただき、相方とスペインへ旅に出た。
航空券とホテルだけ手配してもらい、後は基本的にフリー。何せマドリッドとバルセロナを若干かじりつつ、メインはグラナダという偏った旅だからだ。

朝5時、中央タクシー乗り合い便が自宅に。成田へ直行だ。荷物も運ばなくていいし、感動的な便利さだなあ。
飛行機は11時半のブリティッシュエアウェイズ。もちろんエコノミークラス(いばるところではないな)。スペインは直行便がないのでヒースロー経由だ。
3時間後、早くも機内食登場。イギリス的食事には期待しないのが正解だろう。エールフランスやアリタリアなら状況がだいぶ違うだろうけれど。

なぜか五目やきそばです。相方はハッシュドビーフだったな。彼女は英国留学経験があるせいか黙々と食事を進めている。
真ん中やや前方の席だったが、エコノミークラス症候群を防ごうと最後尾のトイレまで歩く。いや、単に暇だったのと、それと…。

実は、まさに出発前夜から奥歯が痛み出していた。タクシーの中でも痛みが続き、成田空港の薬局でバファリンとサリドンという痛み止め2種類を購入。機内でも何錠か飲んだ。

トイレの鏡で、しかめっ面の自分の顔を観察。席に戻り、薬の効果に期待して毛布をかぶる。

やきそばから4時間後。サンドイッチ登場。厚切りのトマトとチーズをしっとりした白パンで挟んで食べる。

なぜかカレー味のベビースターみたいなものが付いていた。チョコショートブレッドはなじみ深くて安心できる甘さ。
安い食事ではあるが、基本的にジャンクフード好きなので楽しい。
さらに4時間後。パスタ登場。

バファリンのオーバードーズで胃がむかむかしていて食事どころではない。…と思ったがせっかくなので食べてしまった。相方の食べている米が非常にうらやましい。

目の前のディスプレイでは映画「ハンコック」などが流れていたが、英語を聞き取ろうとする気力は出なかった。
13時間半くらいかな。ヒースロー着。うれしい。そしてしんどい。窓の外に、BAの同じく747型機が見えた。

ヒースローでは、薬も効かなくなり、ひたすらうめきつつ我慢。だれか助けてくれ。

しかしここであわや大トラブル。
トランジットが4時間くらいあったので、時間的には余裕でいたら乗り換え口を間違える。二人で猛ダッシュしてなんとかスペイン行きの BAに乗り込む。
脚はがくがく。歯が痛いのも忘れて2時間くらい眠る。途中全粒粉のサンドイッチが出たが、もう無理。

マドリッドのバラハス国際空港に深夜0時ごろ到着。近代的できれいなビルだった。ルノーのミニバンが迎えに来てくれて、ホテルへ。途中高速道路がすごく整っていて印象的だった。
ホテル「カールトン」。4つ星だが、やや古いというか、青い壁など何となくラテンな内装。ここは外国だ、と実感する。

翌日、現地で集合する半日観光ツアーを利用するつもりだったので、荷物を整理してすぐ寝た。…が、ものの1時間もすると痛みで目が覚める。明け方からは、ベッドの中で顎を押さえてのたうち回る。

幸か不幸か相方は眠りが深い。一人起き出し、窓の外を撮影して気を紛らわす。

写真右側が大通りで、目の前にあるのは路地だ。縦列駐車のテクニックにはこの先連日感心させられることになる。

何かの拍子にふっと良くならないかな、と絶望的な期待を抱きつつ、じっと我慢。

朝までが長かった。

2008年12月2日火曜日

スペイン旅行・2日目 マドリッドの歯医者

朝になっても状況は好転しなかった。7時くらいまで待って相方を起こし、「ごめん、もう限界」と訴える。

半日観光ツアーはキャンセル。相方がホテルのロビーで歯医者の場所を聞くが、返事は「薬局で薬を買えばいい」。 ちょっとむっとする。

そこで、旅行用傷害保険のしおりを見て保険会社に電話し、歯医者を探してもらう。その時点でようやく、実はマドリッドで当日の歯科予約を取ることは極めて困難だということを知った。ホテルのフロントマンの対応もそのせいかもしれない。

でも後8日間このままというのは絶対無理。保険会社にもう少し頑張ってもらう。返事の電話を待ちながら、コンビニで買ってきてもらったコーヒープリンを食べて気を紛らわす。歯が痛いのにプリンか?と言われそうだが、患部はほとんど下顎骨に近い歯根部。「歯にしみる」というのではなく、「骨にじんじん響く」感じの痛さだ。噛んで衝撃を与えない限り、何を食べても同じ。

正午前に待望の連絡があった。「午後0時半から一軒空いてます」。時間がない。通りに出てタクシーを捕まえ、メモの住所を見せて急行した。


歯医者の入居するビル。何かゴージャスな建物だな…。
 
感心する間もなく、次なる困難が待ち構えていた。受付嬢が、あなたの予約なんて入ってませんよ、というような態度を示すのだ。しかも全く英語が通じない。片言どころか、todayとかtomorrowとかその程度の単語もだめ。スペイン人は基本的に英語を使わないと聞いていたが本当らしい。

いくらかスペイン語が分かる相方が身ぶり手ぶりを交えてやりとりしていると、受付嬢はモニター上の予約表を指差し「ManaÑa」と…。マニアーナ?たしか明日という意味だ。つまり予約は明日だと?

明日はもうグラナダに行くんだけどな。まいったな。

豊かな体格の受付嬢とお互いに困っていると、ナイスミドルという表現がぴったりのドクターが通りかかった。どことなくカルロス・ゴーンに似ている。

彼は右手を差し出すと、やおら英語で話し掛けてきた。やった。英語に関しても僕より相方の方が得意なので(笑)、痛みがひどいこと、マドリッドにいるのは今日だけだということを説明してもらう。僕はただうなずき、医師にhave pain? と確認された時だけ、ベリーハード、と力強く答えた。


熱意が伝わったのか、ゴーン先生が好意により予約なしで治療してくれることになった。過去に虫歯を治療したところが細菌感染していたらしく、奥歯を1本抜くと宣告されたが、それで痛みが収まるのならOK。先生は麻酔注射を口内に2本打ち、「No pain, are you happy?」と言って笑った。こちらも笑うしかない。

無事抜歯。痛み止めと抗生物質をもらい、150ユーロを支払って意気揚々と医院を出た。保険非適用なので、抜歯と薬代合わせた金額としては安いのではないか。

そういえば、帰り際にゴーン氏に「抜いた歯を持って帰れるようにプラスチックで固めてあげるからちょっと待ってて」と言われたが、事情を知らない受付嬢が「早く帰りなさい」とせかしてくる。スペイン語でうまく説明できず、泣く泣く持ち帰りをあきらめた。


歯医者を出て、その足で市内巡りに。どこまで行っても石造りの街並みをてくてくと歩く。
さすが首都らしく都会的な風景。

麻酔で左頬がしびれているが、先ほどまでの苦痛を考えるとまさに夢のようだ。


蛇腹式バス(と勝手に名付ける)。

2台分の長さで、よく角を曲がれるものだ。バスに乗っている人は割と多かった。






世界3大美術館の一つに数えられるプラド美術館へ。残り2つはエルミタージュとルーブルだっけ?後で確認すると、メトロポリタンを入れるとか、緒論あるらしい。
同じような絵がたくさん並んでいて(すみません)、正直食傷気味。

常設展のほかに、レンブラント展をやっていた。これはラッキー、と思ったが、ワタクシですら知っている「夜警」は展示されていなかった。それだけが心残り。

一通り見終わり、感じのよい館内のカフェで休憩。
僕はミネラルウォーターを飲む。炭酸入り(con gas)と炭酸なし(sin gas)があり、どちらも同じ値段。炭酸入りの方が断然好きだ。 ヴィッチーカタランというバルセロナ産品だが、スペイン全土で見かける。少し塩気が効いていて、この日はレモンが入っていたせいもあり、すごくおいしく感じた。
相方はサンドイッチとミルクコーヒー(cafe con lecheと言うん だっけ)を頼んでいた。


夕方、カールトンホテルに戻る。初めてホテルの外観を眺める余裕ができた。昨夜から今朝にかけてはそれどころではなかったからなあ。正直なところ、今朝とは世界がまるで違って見える。

マドリッドのターミナル駅であるアトーチャ駅の近くにあり、なかなか便利な場所だ。プラドを始め、王立植物園や海軍博物館などにも歩いていくことができる。

まだご飯を食べる状況でもないので、薬を飲んでベッドに潜り込む。

相方は、昨日ヒースローからバラハスの飛行機内で僕が食べなかったサンドイッチを食べて夕食を済ませていた。スペインくんだりまで来て、僕のせいで申しわけないことです。



まあ、相方のメインはグラナダ巡りだからな。「もしグラナダで歯が痛いとか言い出したら、多分ホテルに置いていった」とブラックな冗談を述べておりました。

ちなみにホテルの階段を4階あたりから見下ろす。すごいらせんだ。

2008年12月1日月曜日

スペイン旅行・3日目 マドリッドからグラナダへ下る


朝6時ごろ起きてシャワーを浴び、7時半にホテルを出発。まだ真っ暗でだいぶ日本の感覚と違う。

歩いて数分のアトーチャ駅へ。ターミナル駅のせいか、金属探知機付きのチェックインゲートを通る。下りエスカレーターの左に停車しているのがわれわれの乗る特急だ。

スペイン北西部にある首都マドリッドから、グラナダへ向かい一路南下する。地中海を挟んでアフリカ大陸に近付く。 目的はただ一つ。この旅のハイライトになるであろう世界遺産アルハンブラ宮殿だ。



マドリッド-グラナダ間の都市間特急は「タルゴ」。残念ながらスペインの至宝AVEではないが、ワタクシは「鉄」ではないしそれほど気にしない。

車内は日本の特急と大差ない感じ。南欧の強烈な陽光を避けるためか、窓ガラスがかなり黒っぽい。

カフェカウンター車両があったので、炭酸水を買いに行く。次第に暇だなと感じ始めたころ、ふと携帯に電源を入れたら普通にアンテナが3本立っているではないか。僕は携帯にほとんど興味がないので、海外でそのまま使える機種だと知らなかった。会社にメール。


車窓に見えるのは一面のオリーブ畑だ。

平面斜面を問わず、荒涼とした砂地に規則正しくオリーブを植えてある。こう言っては何だが、短く刈り込んだ歯ブラシのよう。つまり異様な光景ということだ。

行程のほとんどは原野とオリーブ畑の中を走っていた。市街地には近寄らない。あらためて、大陸国の広さを実感する。

隣の線路では装甲車両も運んでいた。僕はミリタリーが割と好きだけれど、スペイン軍が使っている機種までは知らない。
AFVを目にしたのがきっかけで、とりとめもなくスペイン内戦について思いを巡らせる。
同じ civil war と呼ばれても、南北戦争とは重苦しさが違うな。その戦争の勝敗がどんな国家体制を導き出したかという結論がほぼ正反対だから。でも、それを気にするのも戦後リベラリズム的な考え方なのかなあ。



4時間くらいでグラナダに到着。地図で見ると、目指すコロナホテルは駅から近そうだったので、カートをガラガラと引きずって歩き出す。乾燥しているが日差しは強く、少し汗ばむ。
進行方向を巡って相方と意見が分かれ(2人とも方向音痴なので極めて不毛な議論だ)、おもむろにタクシーに切り替えた。
ホテルの部屋。繁華街というか、建物が密集したエリアに立つ。随分遠かったので、あのまま歩き続けなくて良かったなとほっとする。

洗面所。ビデはマドリッドのホテルにもあった。

しかし、マドリッドもグラナダもホテルに歯ブラシがなくて弱った。僕は日本では仕事カバンにすらトラベルセット(皮肉な名前だ)を入れているのに、今回は持ってきていない。
幸い、BA機内グッズの折り畳み式歯ブラシを持ってきていたのでそれを使う。この歯ブラシは植毛部分が大きくて、僕の感覚だと正直小型の靴磨きみたいだが、それでもBAさまさまだった。


一休みして街へ。旅行スタート以来まともな食事をしていなかったので、通りの角にあったレストランに入る。割と庶民的な感じだ。相方が片言のスペイン語で注文する。
よく言われることだが、スペイン人は外国人が例え片言でもスペイン語を話すとすごく親切にしてくれる。もっとも、そうなるとべらべらと話し掛けられるので、今度は何を言っているのか分からず往生する。
メニューはランチのコース。もろもろとした食感の魚介スープがおいしい。僕はメインにハンバーグ(!)。ケチャップがたっぷり付いたアメリカンな一皿だ。相方はスズキのソテーを食べた。
コーヒーで仕上げる。僕の飲んだエスプレッソは当たり前だが苦い。相方のミルクコーヒーのほうがおいしそうだった。
それはともかく、満足して歩き出す。

かつてイスラムのナスル朝が首都を置いたグラナダ。南部が駅やホテルのある下町で、アルハンブラ宮殿などがある北部の高台に向かってだらだらと坂道が続いている。
なお、同じ高台でも西側の丘陵地帯はアルバイシンという古くからの住宅密集地。さらに登ると、ジプシーの洞穴住居があるサクロモンテ地区に入る。

アルハンブラは翌日見学する予定。今日はアルバイシンを中心に、市街地をひたすら歩き回って南部スペインの雰囲気を満喫しようという趣向だ。
歩き出した始めは普通の都市的市街地。オレンジが普通に街路樹として植えられていて、もいで食べてみたい誘惑に駆られる。

中央の大通りから左に折れ、アルバイシン地区に向かうと途端に細い坂道がスタートする。
日本の山間地も真っ青、という街路の狭さ。9世紀ごろ、日本なら平安時代から街が形成されたようなので、車の通行なんて考えてあるはずがない。でも、しれっとした感じで商店のバンなんかが走っていく。

豪華さはないが、趣ある石造りの民家が建ち並ぶ。足元も当然石畳だ。その古い町並みは、アルハンブラ宮殿とともに世界遺産に登録されている。

地区中央のサン・ニコラス広場まで登っていくと、高台から谷を挟んでアルハンブラ宮殿を眺められる絶好の展望台があるという。われわれも一応そこを目指す。



道路はくねくねと住宅の間を抜けていく。
この坂道を歩くこと自体がわれわれの目的。乾ききった強い太陽光に、白い壁が映える。これぞスペインという感じだ。
しかし傾斜はきつく、すぐ汗が噴き出す。ベンチでひと息入れる。さすが高台の展望台を目指すのはしんどい。団体ツアーでここを歩かせたら、ガイドさんは客にボコボコにされること必至だなあ(笑)。
狭い路地を抜けたら、観光客が歩く少し広い通りがあった。グラナダは地方都市のせいか日本人観光客をあまり見かけない(少なくとも街中では)が、この辺りでカップルを一組発見。                                     

マンホールのふた。個人的にすごく気に入った。

途中、これもスペインの特色の一つ、タイル産業の工房を見付ける。
直売所をひやかしたが、相方は「イスタンブールに比べると素朴すぎる…」と難色を示し、何も買わなかった。良かった。タイル抱えて坂道歩かねばならんのかと思ったよ。

さらにだいぶ歩いた。
サン・ニコラス広場なんてとっくに過ぎたんじゃないかなあ、とつぶやきながら坂を登っていくと、不意に絶景が現れた。小高い丘を登り切ったらしい。
手前に見える家々は新興住宅地のもよう。こんな山の上まで開発が進んでいるのだろうか。

丘の反対側に回りこむと、アルハンブラ宮殿とサン・ニコラス広場がはるか下方に見えた。明日の宮殿見学本番に向け、周辺地区を歩くという予習はこれでばっちり。
夕暮れのグラナダを、1時間ほど歩いてホテルに戻った。途中スーパーマーケットで飲み物を調達する。夕食のため再び街へ出たが、店を選ぶのが億劫だ。スペイン人に交じるのに疲れたかも。二人で「ちょっと日和りますか」とうなずきあい、英語の通じる中華料理店でおいしく夕食を済ませた。

2008年11月30日日曜日

スペイン旅行・4日目 アルハンブラ!

ホテルでビュッフェスタイルの朝食。ウインナーと卵関係が充実していて満足した。 朝8時ごろ始動し、タクシーを拾ってアルハンブラ宮殿へ。 

これは前の日にサン・ニコラス広場の後方から撮ったアルハンブラの写真(谷の向こう側)。少し見えづらいけれど、この写真に限らず、クリックしていただければ拡大できます。
各施設が高台上で南北に伸びた構成で、元来が要塞であったことを容易に想像させる。

今日は、最初に写真左側の離宮「ヘネラリフェ」を見学し、次いで真ん中手前の王宮、その奥の平たい「カルロス五世宮殿」、最後に右側を占める要塞「アルカサバ」を訪れる予定。

ところで、アルハンブラ宮殿の最大の特徴は、イスラム王朝時代とキリスト教国時代の建築が入り交じっていることだ。各部を巡るにつれてガラリと切り替わっていく空気感が、そのことを如実に物語っている。おおまかに言うと、
・9世紀~ キリスト教国時代(アルカサバという要塞を建てた)
・13世紀~ イスラム教国時代(王宮とヘネラリフェを追加)
・16世紀~ レコンキスタにより再びキリスト教国時代に(カルロス五世宮殿を追加)
というような感じ。グラナダはアフリカに近いスペイン南部にあるため、イスラム支配圏に属していた時代が長かったのだ。

早朝、まだ角度の低い日差しの中、ヘネラリフェから見学開始。 イスラム時代に建てられた夏の離宮だ。女性的で華やかな空間。

英語だとGeneral lifeと書くのだろうか?永遠の生を楽しむ宮殿ということかな、と勝手に想像してみる。
ヘネラリフェへ歩いている時、この旅行で初めて日本人団体客に出会った。ガイドのオジサンが、「あなたがた日本人ですか」と擦れ違いざまに話し掛けてきたのでちょっとびっくり。群馬県からの一行で、30人くらいの大団体だった。



ヘネラリフェの中庭。 11月なので花は少ないが、それでも菫などが可憐な姿を見せていた。

9時でも朝まだきの雰囲気。人も少なく、独り占め感があって楽しい。ただ、趣はあっても写真撮影には暗い。スピードライトを持ってきていないので、D70内臓ストロボにティッシュを巻いて即席のディフューザーにする。



宮殿の中は糸スギが植えられている。スギを刈り込んで門の形にしているのに驚き。植木職人の技だ。
王宮へ移動する。これもイスラムの建築物だ。やや奥まった部分にあり、崖に面している。後のキリスト教国時代に建てたカルロス五世宮殿によって押し込められてしまった感もある。
ちなみに、混雑防止のため王宮部分だけ入場時間が決まっており、30分刻みで入場させる。我々は間違えてアルカサバを先に見ようとしていたが、係のおじさんが注意してくれたので何とか制限に間に合った。 


王宮内部。高い吹き抜けの壁面を、アラベスク文様が一面埋め尽くしている。

他の部屋には、キリスト教徒の手によって部分的に改装されているところがある。正直なところ、手が入った部分はかなりプリミティブな仕上がり。現代ではともすればイスラムに対して後進的なイメージをもってしまうが、アルハンブラでは全く逆。文化レベルの差異のようなものを感じた。





壁の拡大。緻密な仕事だ。周りを見渡すと、扉など木製品にも同様に細かな彫刻が施されている。



この光景を目にした瞬間、あっと息を飲んだ。 個人的にはこの旅行でもっとも印象に残った場所。
王宮の中央部にある「アラヤネスの中庭」。中央に水をたたえた静謐な空間だ。植え込みに沿ってゆっくりと歩き、心ゆくまで楽しむ。

昼以降は非常に混み合うようだ。朝のうちにゆっくり鑑賞できて幸せ。


カルロス五世宮殿。レコンキスタが終了した16世紀前半に建てられ、王宮とは打って変わってルネサンス様式である。
外周は正方形の建物だが、内部は円周形の中庭になっている。上から見ると日の丸状だ。
事前にガイドブックを見た時は、外と中で同じ建物の写真だということに気付かなかった。



その円周形の中庭の様子。雲一つない空が抜けるように青い。一階二階ともに回廊になっていて散策できる。中庭を眺めていると、次々と観光客がど真ん中にやってきて、記念写真を撮っていた。

建物内部(スペース効率は悪いが)は博物館。なぜかエジプト文物展をやっていた。




アルカサバ。イスラムが侵攻してくる前の9世紀ごろからこの地に築かれていた要塞だ。これまでの建物に比べ、いかにも武骨で実用本位。屈強な兵士たちがうごめき合っていたのだろうなと思いを馳せる。

ちなみに、右手の木の下にあるあずまやはサンドイッチスタンド。ビール片手にくつろいでいる人も多くて魅力的。
相方が日本に携帯メールを打っている間に、僕はなぜかスペイン観光局の人からアンケートを求められる。


アルカサバの塔の一つから城壁を眺める。幾重にも重ねられた防御壁の構造が見て取れる。機能的だ。

イスラムの侵攻、あるいは後世のレコンキスタにおいて、この城壁でも激しい戦闘が行われたのだろう。





アルカサバ内部の壁。レンガと粘土をがさがさと固めた装飾の一切ない造りだ。

その簡素さが逆に美しい。









砦の最上部。各国からの観光客と思われる人たちが思い思いに眺め入っていた。
屋上には鐘楼があり、その脇にスペイン国旗やEUの旗が翻っている。

以上、結局6時間くらいかけてアルハンブラを堪能した。今思うと、もっと長くても良かったな。

ホテル近くに戻り、昨日から目を付けておいたレストランに入った。
オックステールの煮込みなどを食べて遅い昼ご飯。


 夜は古い市街地アルバイシンのナイトツアー&フラメンコ鑑賞だ。ホテルに迎えのバスが来たのは9時ごろ。スペイン人は本当に夜型だな。
各国からの13人が参加した。我々だけが東洋人。この地に初めて住みついた人の住居などを見て回る。ガイドはスペイン語のほか英語、ドイツ語、フランス語で説明があったが、スペイン訛りが強くて聞き取れなかった。
コンデジのクールピクスS600を持ってきたが、手ぶれ補正ONでもぶれる。

ちなみに、3日目の朝マドリッドのホテルを出る時、クロゼットにスプリングコートを忘れてしまった。気付いたのは特急に乗ってからだったのであきらめたのだ。スペインは想像してたより暖かくてほとんど支障なかったが、このナイトツアー中だけは少し寒かった。

続いてフラメンコ鑑賞。ホテルにチェックインした時、カウンターで参加を誘われて申し込んだ。フロントのおじさんというのがまたノリノリで、何とカウンター内で節を口ずさみながらステップを踏んでみせたのだ。これは見るしかあるまい、と思うよね。

ジプシーの住居だった洞穴を利用したフラメンコ酒場。カマボコ状の細長い洞窟で、内部は漆喰で固められている。天井からつり下げられた鍋類は、ジプシーが金属品修理で生計を立てていたことを象徴しているという。


壁際に並べられたいすに腰掛け、サングリアを飲む。
特に説明はいらないだろうけど、赤ワインをフレッシュフルーツジュースで割ったものです。
フラメンコはマドリッドやバルセロナなどの大都市でも見ることができるけれど、南部がやはりひと味違うのではないか。洞穴住居という舞台も気分を盛り立てる。

旅行中は二人ともカジュアルな格好だったが、相方は今夜だけはニットワンピース姿。僕もノータイながらボタンダウンシャツとジャケットを着用してみた。


フラメンコは、観客に服が触れるほどの近さで披露された。肉感的な肢体がくるくると回り、ガッガッと激しく踏み鳴らされるステップと哀感をたたえた踊り手の強いまなざしが観客たちの視線を奪う。

4、5人の踊り手が登場したが、若いお姉さんよりベテランのおばちゃんがやはり一枚上手。風格が違う。
そして、踊りを見つめる合間にも心に食い入ってくるのは、朗々と響く男の歌い手の声。途中「ブラボゥ、ブラボゥ!」と叫ぶ合いの手が舞台を盛り上げる。

一通り踊りが披露された後は、観客を数人指名して一緒に踊らせた。最初はうちの相方(笑)。その後、ドイツ人ぽい人や、アメリカ人らしき黒人のカップルなどが次々と踊る。にやにやしながら見ていたら、最後に僕におはちが回ってきた。やられた(汗)

ホテルに帰ったら、すでに深夜1時過ぎ。でも楽しかったな。